ささやき橋

藤原由貴也




 瞳を開けると、僕は縄で体を縛られていた。
 まず、状況が分からなかった。気が付けば僕は縛られていた。両手を後ろに縛られ、更には両足まで解けないよう、キツく縛られているのだ。
 そして、僕は陸ではなく船上にいた。どう言うわけか、僕を乗せる船は現代のものではなく、とても古い船だった。それこそ、古墳時代や平安時代に使用されるような船だった。
 周囲には数人の人間がいた。
 海賊かと思ったが、どうやらそうではないらしい。僕を囲う人々は、野蛮な印象ではなく、厳格な役人のような雰囲気を放っていた。
 しかし、その服装は不思議なものだった。なんと言えば良いのか、その服装は歴史の教科書で見た事があるような白色の袴の服で、その現代人とは思えない風貌と船の構造により、僕はこの世界が自身の住んでいた世界とはまるで異なるものだと認識した。 視界には真っ青な海が広がっていた。静やかで美しい海だった。そんな美麗な風景をこんな形では見たくなかった。
 僕は周囲を見回した。そして、縛られているのが僕一人ではない事に気付いた。隣に、僕と同じように縛られた人影があった。僕はその人物に視線を向けた。
 隣で縛られている人物は、女性だった。
 見覚えはなかった。その女性とは初対面だ。しかし、何故だろうか。僕はその女性を関係の無い人物だとは思えなかった。
 彼女を見ていると、胸が苦しくなるのだ。しかし、その苦しみは苦痛という訳ではなく、暖かさが飽和していくような、そんな感情だった。
 女性を観察していると、彼女がこちらに視線を向けた。
「本当に、ごめんなさい」
 瞳に涙を溜めながら、彼女は呟いた。僕には、何故彼女が泣いているのか分からなかった。ただ、この状況に彼女が関与している事は理解できた。
「君のせいじゃないよ」
 気付けば、僕はそんな言葉を口にしていた。無意識だった。
 僕の言葉を受けて、彼女は「ありがとう」と、言った。
 互いに視線を合わせていると、僕たちの目の前に男が現れた。男は、手に持っていた紙を広げ、そこに書かれている文章を読み始めた。しかし、言葉がかなり古いものであり、僕は文章の殆どを理解できなかった。ただ、時折出てくる単語の雰囲気や文章を読む男性の表情から、僕たちは裁かれる立場の人間である事を何となく察した。
 男が文章を読み終わった。それと同時に、数人の男が僕たちに近寄り、腕を強引に引っ張り、立たせた。そしてゆっくりと背中を押され、僕は舷に立たされた。
「お、おい、冗談だろ。まさかここから突き落とすつもりかっ?」
 僕は疑心暗鬼に、背後の男に尋ねた。
 男たちは何も言わず、僕を固定した。隣で縛られていた女性も同じように舷に立たされた。
 男の一人が何かを叫んだ。それを合図に、僕たちは背後の男たちに押されて、海へと落下した。
「…ッ! ッ…っ!」
 視界がぼやけた。海の中で僕は必死になってもがいた。何とかして水上で上がろうと試みるが、両手と両足を縛られた状態では泳ぐ事は不可能で、僕の身体は段々と海底へと沈んでいく。
 どうしようもなく、水中を沈んでいると、彼女の姿があった。彼女は僕を見ながら、同じ様に沈んでいた。
 その姿を見ながら、僕の意識は掠れていき、やがて喪失した。
「ッ……グッ……ハッ!」
 もがくように息を荒げて、僕は目を覚ました。
「………あ?」
 瞳を動かし、僕は視線が映す景色を見た。そこは海の中でもなく、海底でもなかった。
 天井だ。
 僕の部屋の天井だ。いつも寝る際に見ている天井が見えていた。
「あ、あれ…?」
 僕はベッドの上で寝ていた。普段と変わらない風景だ。
 混乱しながら、身体を起こす。
「夢だった…のか」
 深く呼吸を乱しながら額を拭う。額は汗で濡れており、枕やシーツまでもがぐっしょりと濡れていた。
 どうやら僕が見た光景は、夢だったようだ。悪夢を見ていたのだ。
 乱れた呼吸を整え、僕は安堵した。思えば、おかしな話だ。あんな光景が現実のはずがないし、まして僕が縛られる理由なんてどこにもない。あれは、まごう事なき夢ではないか。
「は、はははっ! ……本当に、夢でよかった」
 なんて強がってみたが、実際はとても怖かった。あれが死の恐怖か。金輪際、縛られて海に投げ捨てられるなんて夢は見たくない。僕は改めて、自身が生きているという変わりようもない事実に喜びを感じた。
 しかし、随分とリアルな夢だった。目覚めて数分が経過したが、未だに船上から突き落とされ、死を意識した感覚は、鮮明に刻まれていた。
「あ、学校…」
 生への喜びに浸っていた僕だったが、肝心な事を忘れていた。今日は休日ではない。平日だ。なら、学校にいかなければならない。枕元の時計で時刻を確認すると、ギリギリの時間だった。
「やばい、遅刻する!」
 僕は、慌てて服を脱ぎ捨てると、クローゼットにしまってある制服に、腕を通した。
 
「おっ、遅刻した大河くん。昼食はないんですか?」
「うっせーな、持ってくるの忘れたんだよ」
 昼休み。僕は二人の友人と共に、昼休憩を過ごしていた。結局僕は、ホームルームには間に合わず、一限目の途中で教室に到着した。授業中の教室に入る瞬間は、非常に恥ずかしくて、僕は羞恥心に駆られていた。
 僕はしたり顔でこちらを見つめる男子生徒を睨みつけた。僕をからかっているこの男子生徒の名前は、神田祐一。一応友人だ。
「そっかぁ、忘れたのか。まぁ、遅刻したお前が悪いんだけどなぁ」
 そう言って、祐一は自身の弁当から生姜焼きを箸で掴み、見せつけるように口へと運んだ。
「あぁ、美味しいなぁ。マジで美味しい」
「お前、後で覚えとけよ…」
 僕は祐一を睨みつけながら眉間に皺を寄せた。そんな僕の表情を、優一は楽しげに見つけていた。
「そんなことを俺に言う暇があったら、どうしたらちゃんと起きれるか考えろよ」
「お前、マジで許さんからな…!」
 席から身を乗り出し、僕は祐一に突っかかろうとした。
「もう、二人とも、そんな言い合いばかりしてみっともないよ」
 隣の席で食事をしていた生徒が、僕たちのやり取りを見ながら、呆れたように呟いた。祐一の隣でおかずを口に運ぶこの女子生徒は、朝峰未央。祐一と同じく僕の友人だ。僕たち三人は中学からの仲で、その関係は高校生になった今でも続いていた。
「でもな、未央。最初に喧嘩を売ったのはこいつだぞ」
 言って、僕は祐一を指差した。
「だとしても、喧嘩を買った大河も悪い」
「はぁ? なんで僕が悪いんだよ?」
 眉を顰めて抗議する。
「はい、これ。私のおかず分けてあげるから、喧嘩しないの」
 未央は諭すように言うと、弁当の蓋に数点のおかずを乗せて、僕に差し出した。
「いや、別にいらないけど」
 見栄を張って言ったが、その直後に情けない腹の音が鳴り響いた。
「身体は正直だね」
「う、うるせぇ」
 僕は顔を赤らめて、差し出されたおかずを受け取った。箸が無いため仕方なく指でおかずを掴み、口へと運んでいく。途中、未央から「箸、使う?」と提案されたが、丁重にお断りした。
「どう、美味しい?」
「美味しい」
 尋ねられて、僕は返答した。
「良かった。それ、私が作ったの」
「え、マジで?」
 おかずを咀嚼しながら、僕は目を見開いた。
「そう、マジで」
「すげーな、尊敬するよ」
 僕が褒めると、未央は表情を綻ばせた。褒められた事が嬉しかったようだ。僕はその笑顔を眺めながら、彼女の手料理を堪能した。
「ところで、大河はどうして遅刻したの?」
 デザートの林檎を齧りながら、未央が尋ねてきた。


(続きにおきましては、ささやき橋にて閲覧できます)





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